「白杖=全盲ではない」という啓蒙活動

アッシャー症候群との闘い! > コラム

数年前、海外を一人旅したいという記事を書いたけれど、その後旅行らしい旅行はしていなかった。

某開発途上国に長期滞在していたとはいえ、滞在であって旅行ではないし、白杖を使っての一人歩きもしていない。

しかし先日、ついにその機会が訪れ(機会を作り)、開発途上のL国および日本国内のO県を2週間ほど旅してきた。

もちろん一人で、白杖を持って。


約1週間滞在した開発途上のL国では、到着時に空港職員とタクシー運転手が目的の場所まで誘導してくれたことと、ホテル従業員が朝食のバイキングで食べ物を運ぶのを(一度だけ)手伝ってくれたことを除き、声をかけられたり気遣われたりすることは一切なかった。

L国人はもともと内気な国民性であるうえ、白杖という用具の存在を認識しているのかどうかも疑わしく、ましてや僕は言葉の通じない外国人なのだから近寄りがたいのは致し方ない。

僕の場合はある程度見えているからまだ良かったけれど、これが全盲だったら相当キツイだろうなと思う。勝手のわからない異国の地で、誰からも話しかけられず手を差し伸べられることもないというのは。


一方、同じく約1週間を過ごした日本国内のO県はというと、これまた似たような状況で、乗り物関係の職員と宿の従業員を除き、向こうから声をかけてきて手助けしてくれたのは一度だけ。旅行者の女性だった。

今は(おぼつかないながらも)何でも一人でできるからとくに支障はないものの、ここまで見事にスルーされるとなると、本当に見えない人に対しても皆こうなのかなと心配になってしまう。


人の親切心をアテにしてはいけないと思いつつも、心のどこかでは密かに期待してしまったり、視覚障害者に対する人々の反応を探ってみたり、普段は使っていない白杖に対する僕自身の葛藤もあり、複雑な想いを抱きながらの白杖一人旅だった。

まだ少し見える僕が今回あえて白杖をついて歩いたのは、見知らぬ土地で危険を避ける意図があったのはもちろんのこと、「白杖=全盲ではない」という実情を世に知らしめるための啓蒙活動に他ならない。

これこそが今の僕の"立ち位置"であり役割なのだ(と自分に言い聞かせていた)。

※ 日本の道路交通法では視覚障害者が白杖を持たずに事故に遭うと過失責任を問われるため、本来は持ち歩かないといけない。

参考記事:白杖の持つ意味



■あとがき

最近、盲導犬や白杖使用者を傷つける心ない事件が相次いでいますね。

明日は我が身だと思い知ってほしい。


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